27エンナーレ出品作品目録および解説

(会場で配布していた解説文です)

(解説:温井大介)

● 檎千円札 布にペン、水彩 

…制作当時、紙幣が一新され、その時五千円札の樋口一葉さんの評判がすこぶる悪かったので、ならば、と当時好きだった歌手に勝手に変えました。ポーズはビッグコミックスピリッツの表紙から。

 

● 臓腑経絡図 布に水彩

…大学卒業後に描いた、年中絵巻の番外編です。それは、山形県で臨時の実習助手としての任期が終了し、群馬に帰る途中だったのですが、首が全く動かせなくなってしまいました。これでは車の運転が出来ないと焦っていると、目の前に「スポーツ鍼」の文字が。

全く動かなかったのに鍼に行ったらあっという間に治って、、、というのがすごく印象的で。

ちなみに置き針を十本も刺されました。

タイトルは参考にした中国のツボの本から。

 

● マイポニー 和紙に岩絵の具

…大学の日本画の授業で制作したものです。日本画になりませんでした。

スウェーデンの同名の椅子から。

 

● Dr.ドラゴン 白衣に水彩、ペン

…大学も四年生になり、卒業制作の下書きを提出せねばならなかったのですが、自分は龍が描きたくて、全然関係ない龍を白衣に描いていました。龍は、中国の龍が気に入って、中国の昔の工芸品から拝借しました。「中庸感」というのは、今年はバランスよく頑張るぞ、というような意味のつもりの抱負です。バランス良く頑張れませんでした。

 

● 年中絵巻 綿に水彩、ペン

…美術大学の実技の科というのは、卒業論文ではなく、卒業制作というものを提出して卒業となります。これはその大学の卒業制作で描いたものです。

三年生のときに京都の高山時で買った、鳥獣戯画の巻物がとても気に入って、巻物を描きたくなり、コンセプト(口実ともいう)を考えていました。卒業制作は一年通して描く授業になっていたのと、巻物は時間が流れている、ということなど色々合わせて考えてこの形となりました。

鳥獣戯画は右からになっていますが、これは左側からにしました。

本当は月ごとに見て、また巻いて、開いて、という風に見るつもりでいましたが、今回広い場所を貸していただいたので、全部広げてみました。(裏へ)

(表から)

一年の出来事、行事などを月別に描いた絵巻物です。

これを描いているときに中学校のころ地図を描くのが好きだったことを思い出しました。

 

● チェリーT   Tシャツに水彩、ソメイヨシノの実

…自分は大学は山形でしたが、山形といえば、そうサクランボです。

四月、大学を登る坂道には桜が満開。そしてその後、食べられないサクランボが、坂道を

真っ赤に染めます。

そこで、何か有効利用できないか(もったいない精神)、と考え、染物に使いました。

本当は桜の染め物は花が咲く前の皮で染めるらしいです。

色が違うのは染めの液の違いです。大学三年生のときのものです。

 

● チンチョーロのマドンナ  紙に鉛筆

…資料を探してナショナルジオグラフィックを見ているときに、アンデスの方のチンチョーロというところのミイラの写真が気に入りそれを描きました。このミイラはすごいです。でも、ちょっとグロテスクなので詳細は省きます。題名は、このミイラ女性らしいので。

大学二年のときの作品。

 

● 六道輪廻が展開中  板に油彩

…六道輪廻とは、仏教用語で「悟りを開けないものが陥る低次元のサイクル」だそうで、自分の周りのことを揶揄したつもりのタイトルでしたが誰にも突っ込まれませんでした。

大学二年のとき、仙台のメディアテークという場所で展示したものでした。

曼荼羅っぽいですね。

 

● サギのなんか   パネルに油彩

…サギの絵です。ずっと鶴かと思ってました…。大学二年のときのものです。

 

● 一触即発     紙に鉛筆、水彩

…デッサンコンクールに出したのですが、無視されましたその頃一触即発という言葉が自分の中で流行っていました。刀はたしか有名なものです。

 

●エディアカラの楽園   スチレンボードにコピー用紙

…捕食について気になって書きました。詳しくは作品横の前口上をどうぞ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、また二十七年後にお会いできることを楽しみにしております。

エディアカラの楽園

前口上

 

この作品は大学三年生の初めにグループ展に展示する際の作品です。

 

当時自分は、展示一週間前まで作品が出来上がらずに居ましたが、

全く関係ない、ある問いが頭から離れませんでした。

それは「何故動物は争うのか」でした。

それは戦争はもちろん、動物同士の戦い、小さないざこざや競争なども含めたものでした。

良い悪いは抜きにして、争いのせいで全体としては損をしている場合が多くあるでしょうから、ないほうが全体としては、ある程度豊かになるはずだ、と考えたからです。

しかし、考えてみると、この問いは余り意味がないことに気づきました。

というのは、実際に争いの起こる理由というのはもちろんケースバイケースで、

共通した根源にある理由のようなものが見つからなかったのです。

そこで問いをかえました。

 

「もし動物が争いをなくそうという方向で行動を進めたとして、争いは全くなくなるのか」

という問いです。

これは考えると結構簡単に自分の答えが出ました。

なくならないであろう、という答えでした。

なぜかというと、もし、全て平和的に話し合いで解決するなどして戦争や争いがなくなったとします。

しかし、動物は生きている限り争う行為を行っているからです。

それは捕食という行為です。

多くの動物は生きるためのエネルギーの大部分を捕食という行為でまかなっています。

そして、捕食とはすなわち他の生物と争い殺すことです。

(捕食に関しては、表面的に争っていなくても、生物は生きること、

子孫を残すことを、前提、目標として存在している。生物の意思とは関係なく。なので、他の生物の命をなくす、という行為は絶対的

に他の生物の利益を損なうので、争いであると考えました)

少しベジタリアンの気持ちが分かる気がしました。

 

そして自分は次のことが気になりました。

最初に生まれた生物は、海水の中の栄養などをとってエネルギーにかえていたと聞いたことがあるが、捕食はいつごろ始まったのか。

です。

 

インターネットでそれに関することを調べていると面白いことが分かりました。

オーストラリアのエディアカラというところで、妙な生物の化石が大量に出土していたらしいのです。

なにが妙かと言うと、驚くほど大量に出た化石にも関わらず、恐らく現在の生物の先祖ではない、つまり、全て絶滅した種類であるということです。

そして、その生物たちはどうやら捕食を行わないで生活していたようである、

ということでした。

 

その名も「エディアカラの楽園」。

その生物たちは目や耳などの感覚器官を持たず、単純な生物が多いようでした。

そして海の上にぷかぷか浮かびながら光合成をしたり、海の栄養をもらったりして平和にくらしていたそうです。

しかしある日を境に姿を消します。

はっきりした原因は分からないそうです。

 

理由を自分なりに考えた結果、これは突然変異で捕食を始めた生物が出現し、

皆食べられてしまったのではないのかなぁ、という考えに至りました。

エディアカラの楽園で捕食が始まり、そして楽園は崩壊してしまったんだと。

 

そうすると「楽園」というキーワードから、アダムとイブの楽園追放の話が連想され、捕食という言葉が「知恵の実」という言葉に置き換えられそうである、

などと考えがふくらみました(楽園追放について、余り詳しくは知らないですが、漠然とそう思いました)。

皆が平和に困ることなく暮らしていたが、「知恵の実」を食べること、つまり、光合成などをして栄養を取るより、より多くのエネルギーを手っ取り早く効率的にとる方法、「隣にぷかぷか浮いている生物=知恵の実」を「捕食=食べる」することによって「エディアカラの楽園は崩壊した=楽園を追放された」と

置き換えました。

 

それを詩っぽく書き換えた(詩など書いたこともなく、当時は詩とも考えずに書きましたが、あんまり「詩だ」といわれるので詩ということにしましょう)のが、この「エディアカラの楽園」です。

タイトルもまんまです。

 

それを、ローソンの拡大コピーで拡大し貼り付けて、なんとかそのグループ展には間に合いました。

 

 

ちなみに、この後、捕食から身を守るための殻、殻を砕く歯、より多くの餌を得るための目、鼻、耳など、

「あの会社がこれを出すならこっちはこれだ」と言わんばかり、経済戦争さながらの進化戦争が勃発するようです…。

 

 

 

「なぜ争いが終わらないのか、それは何故か分からないが、動物が捕食を続ける限り争いは行われている」

 

 

中学生の時の先生の「植物になりたい。植物は誰にも迷惑をかけない。もし切り倒されたら、その時はしょうがない」という言葉を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

2008年 8月